一般人の備忘録

思い付くままに何かしら述べています。

空間の所有権をめぐる一考察①

ある国道沿いで、このような立て看板を見た。「トラックの騒音に悩まされている。走行車輪はもっと静かに走れ」と要求する立て看板である。

この看板を目にした際、私は違和感を覚えた。

確かに、国道はトラックの走行量が多く、その沿線に住む人々にとっては、トラックの騒音、振動、その全てが不快に感じるのかもしれない。

だが、「国道沿いに住む」ということは、そうしたリスクを考慮した上での意思決定なのではないだろうか。

周りには空き地のみであり、道路がひとつもない。その平穏な地で普通に暮らしていたら、突然国道が湧き、多くのトラックが走り出し始めた。このような事象が発生したわけではないだろう。

私が取り上げるのは「空間の所有権を主張することができるのは誰か」という問いである。

沿線住民が、その場所で自分たちが生活しているのだから騒音に気を付けてくれ、とトラック運転手へ要求する主張はもちろん理解できる。しかしトラックが国道を走っているのは過去より当たり前、もっと言えば普遍的な事柄である。

トラックが国道を走っているという継続的事象の経過時間と、その区域に地に足を付けて暮らしを展開しているという断続的事実の対立という構図が見え隠れする。

私はこれを空間の所有権をめぐる見えざる争いと定義せざるを得ない。

トラックの運転手が静かに走ることでこの問題は解決に向かう―確かにその通りである。しかし私が展開している論は「空間の所有権」である。ユニークな登場人物や、事態の深刻度合という悪条件が重なり合うと、この問題は途端に色を変える。

この問題に対して考察が必要であると考え、私は例の地域に向かった―。