一般人の備忘録

思い付くままに何かしら述べています。

ジェンダーからの解放―『キューティ・ブロンド』を観て―

※ネタバレ注意

 

Ⅰ はじめに

 「ジェンダー」という言葉が叫ばれる昨今の時代。社会的に作られた性別に関する固定概念たるものからの解放を求める声もまた大きくなっている。だが、そういった社会の枠組み、ジェンダーの枠組みの中で、自らのアイデンティティを主張するのは極めて困難なことだ。それは、この『キューティ・ブロンド』の中で如実に描写されている。この物語は、社会の中で自分のアイデンティティを貫こうとした若き女性の戦いの物語である。

 

Ⅱ ジェンダーからの解放

 主人公は、天然ブロンド娘である「エル・ウッズ」。ロサンゼルスの大学でファッションを専攻しており、社交クラブである「デルタ・ヌー」の会長を務める。名家出身で議員を目指す「ワーナー」を交際しており、何不自由とない幸せな日々をカリフォルニアの地でおくっていた。しかしエルは彼氏のワーナーから、「ブロンド」であるとの理由で別れを切り出される。彼に見合う女性へとなるため、エルはワーナーと同じハーバード大学のロー・スクールへ入学することになる。ハーバード大学を目指す理由は、男に見合う女性になるという、受動的な理由である。自己より、男に合わせるという従来の女性観に則った理由である。

 ハーバードのロー・スクールに入学し、ワーナーに「ここは君が来るような場所でない」と言われ、エルは「私にどれだけ価値があるか見せてやる(I'll show you how valuable Elle Woods can be!)」と宣言する。彼女は、ハーバード大学では「ブロンド娘」として差別されるのみならず、カリフォルニア出身であることでも差別される。その差別の中、自らの価値を研鑽しようと努力していく。この挑戦は非常に困難であり、まさに茨の道といえるだろう。しかし、エルはある授業の中で、以下のように発言する。「危険な方を選びます。私は挑戦を恐れません。(I’d pick the dangerous one because I’m not afraid of challenge.)」と。彼女はそれでも自分のアイデンティティを貫いていくと決めた。

 

Ⅲ 自己を確率していくことの難しさ

 エルは、ハーバードで自分のアイデンティティを貫くことを決意し、その意志は、服装からも見て取れる。カリフォルニアにいた頃は、いわば彼女のsignature colorである「赤系統」から成る服装が主であった。しかし、ハーバードに入学すると、最初の内は、自分のファッションを貫いていたが、勉学に励むことで、ロー・スクールの特質に飲み込まれ、シーンが進むごとにエルの服装からsignature colorが消えていくことになる。完全には消えず、アクセサリーのような小道具に使われてはいるが、これはハーバードに染まりつつある彼女を表現しているといえよう。言い換えると、カリフォルニアに居た頃のエルはハーバードのロー・スクールのエルに変わりつつあるというのを暗示しているのだ。しかし服装に占めるsignature colorの割合が少なくなっていったとしても、彼女は「ブロンド」であることをやめない。作中で一番の偏見の対象である「ブロンド」をやめたりしない。ここに彼女の強さが表れている。信頼していたキャラハン教授から裏切られ、自分のアイデンティティを貫くことが出来なかった(つまりは、自己を貫いたが、結局のところ内部を見てもらうことは叶わなかったこと)と悲しむエルは「本当の自分じゃないものになろうとしていた」と嘆く。自分の挑戦を諦めかける。しかし彼女はストロングウェル教授から叱咤激励をうけ、最後の決戦(=裁判)に挑むことになる。そこでの彼女の服装は全身が、signature colorであるピンクである。その裁判で彼女は勝訴を勝ち取り、裁判所から扉を守衛に開けてもらい、光の元へ歩いて行く。もう自分で扉を開けて出ていくエルではない。そして光の方へ歩いていくのはエルの「女性からの解放」を暗示していると感じる。

 作中の最後のシーン、彼女は卒業式のスピーチで「いつも人を信頼することが大切。そして、一番大切なのは、自分自身の力を信じてあげることよ(You must have faith in people, and most importantly, you must always have faith in yourself.)」と話す。

 

Ⅳ おわりに

 エルは、社会の枠組みの中で、自分のアイデンティティを貫き通した。「女性ならばこうであれ」、「ブロンド娘はおバカ」「カリフォルニアの人間は能天気」という数々のしがらみに苦しめられ、そして戦いぬいた。この物語は、そんな彼女の戦いを描いた作品である。