一般人の備忘録

思い付くままに何かしら述べています。

インターネットにおける討論の是非

 日本において今やインターネットは絶大な市民権を帯びている。もはやインターネットが無い世界を想像することは、困難であるといっても過言ではない世界である。その普及率の高さ故に、度々インターネットは世間から問題視される。

例えば、出会い系サイトのような現実での繋がりを生み出すサイトで、犯罪に巻き込まれるリスクを高めるということ。少しスケールを広げると、ハッキングによる仮想通貨流出事件等は記憶にも新しい。

新たな事物が誕生し、新たなサービスが展開されると、従来考えてこられなかった新たなリスクが孕むというのは至極当然である。しかし、そのリスクが犯罪・事件という形で可視化されると、途端に世間は懐疑的な視線を、新たなサムシングに向ける。

そんな中で、インターネットは必要だ、有益だ、と反論する意見もある。その意見のひとつに、インターネット上では様々な意見が見られるため、自身の知見を広げる場としては優れている―という意見がある。勿論リアルタイムに展開される討論は有益であろう。スカイプやチャットがこれに該当する。

私が問題として掲げるのは、インターネットの一意見をあたかもそのコメント支持者側の総意であると捉え議論が行われている点である。

例を一つ取り上げる。ジェンダーに関する記事に残されたコメントをみると、「女性はこう主張している。だけど〇〇じゃないか?」というのが垣間見える。「女性はこう主張している」とする内容はインターネット上にある一意見である。

この点に関しては、自身の知見を広げる場とは言い難いのではないだろうか。