ゲオルグ・ジンメル『コケットリー』からみる日本人の思考パターン
ゲオルグ・ジンメルという社会学における巨人がいる。社会学を専攻する方にとっては身近な存在であると想像される。彼の書籍『コケットリー』では、女性がイエスともノーともとれる行動―すなわりコケットリー―から社会の仕組み、手段の仕組みについて説いた。現代で言う、「ツンデレ」のようなものだろうか。「私はあなたに所有されたい」という意志表示と”同時”に、他者への興味も示す。この一見矛盾し、相反する事柄を表出することがコケットリーである。社会における意思決定の場においても、どちらともいえない部分が存在する。イエスと表出したとしてもノーの考えも考慮されており、100%イエスではない。人間の思考の場において、二元論を当てはめることは困難なのではないかとジンメルは指摘する。
では、話を現代の日本人にフォーカスをあてよう。アンケート調査などで、しばしば日本人はどっちつかずな真ん中を選択しがち、という話は聞いたことないだろうか。例えば、「〇〇は好きか?」という問いに、「好き」「どちらともいえない」「嫌い」という三択の回答が用意されていた場合、日本人は「どちらともいえない」を選択する比率が高い。これは日本人は、「好き」か「嫌い」という二元論的な枠組みに入ってないことを意味するのだろうか。ジンメルが指摘した課題を克服したのが、日本人なのだろうか。
私は、日本人の思考の枠組みは、二元論ではないが、コケットリー的思考でもないように考える。日本人的思考は、中途半端であり、イエスでもノーでもなく、「So so」である。対してコケットリー的思考は、イエスを考慮し、ノーを考慮し、総合的な判断により、「イエス」ないしは「ノー」を表出している。
つまり、日本人は中途半端な考え方であり、二元論よりも、いわば一元的な思惟となっているのではないだろうか。二元論で物事を判断するのは危険である。あらゆる要素を複合的に判断する必要がある。日本人の思考パターンを欧米諸国のような「二元論」ではなく、コケットリー的思考に導く必要性が高いだろう。尚、「欧米諸国が二元論、だからダメ」という論を展開しているつもりは毛頭ないので、勘違いしないでいただきたい。
ゲオルグ・ジンメル『社会学の根本問題 個人と社会』清水幾太郎訳 岩波書店 1978
- 作者: ゲオルクジンメル,Georg Simmel,北川東子,鈴木直
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1999/01/01
- メディア: 文庫
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